2015/1/25~2/27 メキシコ
国立人類学博物館
引き続き、「国立人類学博物館(Museo Nacional de Antropología)」です。
アステカ文明(メシカ)
アステカ文明は、1428~1521年にメキシコ中部で栄えたアステカ帝国の文明で、ナワ族の一集団「メシカ(Mexica)」が支配していました。
メシカはメキシコ盆地のテスココ湖の島に「テノチティトラン」と「トラテロルコ」の2つの都市を建設しました。「テノチティトラン」はアステカ帝国の中心都市です。
下は「テノチティトラン」の復元模型です。「テノチティトラン」はテスココ湖に浮かぶ小さな島を拡大して造られた都市で、中心部から4本の通りが伸びているのが分かります(画像上の地図)。
模型の中心部には「双子神殿」があります。高さ30メートルのピラミッド型の基壇の上には、太陽神・軍神「ウィツィロポチトリ」の神殿(右)と、雨の神「トラロック」の神殿(左)があります。
下図の左がトラロック、右がウィツィロポチトリ(ハチドリの左という意)です。ウィツィロポチトリは、アステカ人にとって、とても重要な神です。
では、ここで、何故この地に都を造ったのか?のお話をしましょう。
これは、ウィツィロポチトリの神託によるものです。
アストラン(Aztlán・サギの地という意)に住んでいたアステカ人。ウィツィロポチトリに導かれ、新天地を目指す旅に出ます。
道中、ウィツィロポチトリに「アステカ改め、メシカと名乗りなさい」といわれ、メシカと名乗ることとします。長い年月をかけて、メキシコ盆地にやってきますが、既にそこに住んでいる他の集団と対立して、何度も定住地を変えることとなります(このときの彼らの苦労話はとても面白いのですが、今回は割愛)。最後に、テスココ湖にたどり着き、「サボテンの上に、ヘビをくわえた、ワシのいる」光景をみて、「これぞまさしく、探していた場所だ!」とみなし、ここに都を建設しました。これがテノチティトランです。
テノチティトランは、現在のメキシコシティの場所にあたります。
「サボテンの上に、ヘビをくわえた、ワシのいる」光景は、現在のメキシコの国旗の中央に描かれています。
アステカを代表するものとして、「太陽の石」があります。「アステカ・カレンダー」とも呼ばれていますが、年月日を知る機能はないそうです。アステカの宇宙観、時間観、歴史観をあらわしています。中央は大地の神「トラルテクトリ」で、舌を出して地と肉を求めているのだそうです。その両サイドには心臓を握る手があります。
「太陽の石」の解説をしていました。
「解説を聞いても、よく分からないだろうな」と思い、私は横目で見ながら、そっと通過してしまいました。大きな後悔。仕方がないので、調べてみました。諸説あるようですが、アステカ神話のその一つを纏めてます。
太陽の石の中央の周りには、死滅した4つの太陽の時代が描かれています。右上から反時計回りに、第1の太陽「ジャガー」、第2の太陽「風」、第3の太陽「火の海」、第4の太陽「水」です。
第1の太陽の時代
この時代は、アステカの神である黒いテスカトリポカ(=テスカトリポカ)が太陽として世界を支配していました。しかし、白いテスカトリポカ(=ケツァルコアトル)に大きな棒で叩かれ、水の中に落とされます。落とされたテスカトリポカはジャガーに変身して、水から飛び出し、皆を食べてしまいます。そして、この時代は滅びます。676年続きました。
ちなみに、この時代に住んでいたのは巨人で、農耕を知らず、洞窟に住み、どんぐりを食べて暮らしていたそうです。どんぐり♡
第2の太陽の時代
次の時代は、テスカトリポカを太陽の座から落としたケツァルコアトルが太陽となります。が、テスカトリポカが嵐を起こして、皆を吹き飛ばしてしまい、世界を滅ぼしてしまいます。生き残った人々は、風に吹き飛ばされぬよう、四足のサルに変えられます。
第3の太陽の時代
次の時代は、アステカの雨の神であるトラロックが太陽となります。が、ケツァルコアトルが火を起こし、火山の噴火と溶岩で、世界を再び滅ぼしてしまいます。生き残った人々は、火や溶岩から逃れられるよう、鳥に変えられます。
4番目の太陽の時代
次の時代は、アステカの水の女神チャルチウィトリクエが太陽となります。が、大洪水で世界が滅びます。生き残った人々は、魚に変えられます。そして、この大洪水の水を飲み込んだのが、太陽の石の中央、大地の神「トラルテクトリ」、現在の太陽なのです。
以上、太陽の石のお話でした。
>> 次は、国立人類学博物館の「アステカ文明(メシカ)後編」です。
─ Ciudad de México #1 ─
メキシコシティ歴史地区ほか 1
国立人類学博物館
3.アステカ文明(メシカ)前編
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