イベントを開催しました
2023年9月3日、 [信州松本 城町文庫] × [ワールドトラベラーTOMOKA] コラボ企画、 「一緒に世界を旅しませんか?」vol.23を開催しました。皆さま、楽しい時間をありがとうございました。参加費の一部を認定NPO法人日本チェルノブイリ連帯基金の「ウクライナ支援」に寄付いたしましたので、ご報告いたします。
ユーゴスラヴィアの概要
恒例のクイズです。
「ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国」が存在したのは、いつまででしょう?
正解は、「B」でした。
旅のお話
私がこのエリアを旅したのは、2016年の初夏。ユーゴスラヴィアは解体され、スロヴェニア、クロアティア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、モンテネグロ、マケドニア(現:北マケドニア)、そしてコソヴォとなりました。ただ、現在でもセルビアはコソヴォの独立を認めていません。
今回は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、モンテネグロ、そして北マケドニアの旅をご紹介しました。
旅のお話 ~ボスニア・ヘルツェゴヴィナ~
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都「サラエヴォ」は、非常にヒストリックな場所です。
【その1】サラエヴォ事件
第一次世界大戦勃発のきっかけ「サラエヴォ事件」が起こった場所です。
1914年、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者 オーストリア大公フランツ・フェルディナントと妻ゾフィー・ホテクが、大セルビア主義テロ組織「黒手組」の青年ガヴリロ・プリンツィプによって暗殺された事件です。
【その2】サラエヴォ五輪
1984年のサラエヴォ五輪。社会主義国での冬季オリンピック開催は、このサラエヴォ五輪が初でした。
サラエヴォ五輪のマスコット「ブチコ」。伝説のオオカミだそうです。
【その3】サラエヴォ包囲
サラエヴォ五輪の8年後、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争が始まります。サラエヴォは包囲され、多くの犠牲者が出ました。
サラエヴォ・ローズ。死者を出した迫撃砲の跡を、後に赤い樹脂で埋めたものです。悲しいことに、数多く目にしました。
次は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの世界遺産「モスタル」です。
上の画像は「スタリ・モスト」と呼ばれる橋で、もとは16世紀オスマン帝国時代につくられました。その後、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争の際、破壊されてしまいます。
「スタリ・モスト」は平和の象徴として再建され、2005年に世界遺産登録されました。
町の中に数多く残る、紛争の傷跡。銃声が聞こえてくるようで、胸が締め付けられました。
紛争時の写真。
紛争時の写真。
この町で出会った人の笑顔は、一生忘れないでしょう。
以上、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの旅でした。
旅のお話 ~モンテネグロ~
モンテネグロは最後までセルビアとともに、ユーゴスラヴィアの一員であり続けました。2006年に独立を宣言をし、現在のモンテネグロとなりました。
そんなモンテネグロですが、「日本と100年間戦争をしていた」という話を聞いたことがありますか?
イベントでは、「日本vsモンテネグロ 百年戦争」の真相について、お話しました。
さて、旅のお話です。
モンテネグロの世界遺産「コトルの自然と文化歴史地域」です。美しい町でした。
角度を変えて。美しいです。
モンテネグロはワインが有名です。
デイトリップで訪れたペラストでムール貝。
以上、モンテネグロの旅でした。
旅のお話 ~北マケドニア~
私が旅をした2016年は、国名が「マケドニア」でしたが、今は「北マケドニア」となっています。このお話をするには、長い歴史のお話が必要となりますので、また別の機会に。
ただ今回、どうしても一つだけご紹介したいことがありました。
それは…
宿で出会ったブルテリアの食いしん坊ちゃん♡
表情はどことなく物悲しいのですが、尻尾はペチペチペチペチとふっています。
宿のオーナーさん曰く「食べるのが好きで、こんなにパンパンになっちゃった」。
のっそりと「遊んで」と寄ってくるところがたまりません。
食べるのがあまりに好きで、よく宿泊客の食べ物を食べてしまうそうです。私も例外なく奪われました。下の画像は、食べてしまったのが宿のオーナーに見つかって、外出禁止令をくらっているところです。しゅん。
以上、北マケドニアの旅でした。
今回のまとめ
イベント「一緒に世界を旅しませんか?」の2回にわたり、旧ユーゴスラヴィアについてお届けしました。開催にあたり、2か月間ユーゴスラヴィアの歴史や紛争について勉強しましたが、紛争の歴史を知ることは辛く悲しいことでした。ですが、知ることによって、自分の体験・経験だけでは得ることのできない学びがありました。
今回の「世界旅を通じて学んだこと」は、下の通りです。
今回も皆さんと楽しい時間を過ごせました。
また皆さんにお会いできるのを楽しみにしています。ありがとうございました。
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