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  • 執筆者の写真Tomoka Miyata

【ご報告】2022年5月29日『おとなカレッジ』オンラインオープンキャンパス「私が旅したウクライナ」


イベントを開催しました

2022年5月29日、田中優美子さん主宰『おとなカレッジ』オンラインオープンキャンパスにて、私・世界三周半トラベラーTOMOKAがゲストスピーカーとしてお話いたしました。ご参加の皆さま、録画視聴でお申込みの皆さま、そして寄付という形で心をお寄せくださった方々、誠にありがとうございました。心より感謝申し上げます。


皆さまからお預かりした参加費の全額を、ユニセフ「ウクライナ緊急募金」に寄付いたしましたので、あわせてご報告いたします。



田中優美子さんと私TOMOKA。こんな二人がお届けしました。



ちょっとだけ、イベントの様子をご案内しましょう。




愛のトンネル、実は…


緑に囲まれた、ロマンティックな場所として人気の「愛のトンネル」。

愛のトンネル(イベント資料より)
愛のトンネル(イベント資料より)


実は、この「愛のトンネル」、ウクライナの片田舎にあるんです。しかも、キーフやリヴィウのような都会から「気軽に日帰りで」といった距離にはありません。ちょっと距離があります。


更に、まだ観光地化されていません。なので、「愛のトンネル行きツアー」や「愛のトンネル直行バス」といった便利なものはありません。


したがって、行くのがちょっと大変…。

良く言えば、たどり着くまで、ちょっとした「冒険気分」が味わえるんです。


では、どうやって行ったのかと言いますと、まず私は、リヴィウからルーツクという場所に行って一泊。翌朝、ルーツクという場所からローカルバスに乗り込み、「愛のトンネルに行きたい」と運転手さんに告げました。小一時間ほどバスに揺られた後、「ここで降りな」と運転手さんに促されてバスを下車。そこは、田舎の直線道路のど真ん中にある、小さな小さなバス停でした。人気もなく、看板もなく、建物もない。思わず「あらま」と声をこぼしてしまいました。


そこからは、GPSと自分の勘を頼るしかありません。スマホ片手にポツポツと歩き始めました。


少しすると、ありがたいことに看板が出てきました。

LOVE TUNNEL 2.7 KM!

嬉しい英語表記。しかも愛嬌あるハートマーク付き♡ 間違いなさそうです!

愛のトンネルへ(イベント資料より)
愛のトンネルへ(イベント資料より)


自信をもって、歩みを進めます。こちらが私が歩いた道。まだ舗装されていません。

愛のトンネルへ(イベント資料より)
愛のトンネルへ(イベント資料より)


30分ほど歩いたでしょうか。たどり着きました。



記念すべき撮影一枚目。

愛のトンネル(イベント資料より)
愛のトンネル(イベント資料より)


香港から来た撮影クルーがいました。ジュエリーのCMを撮っているとのこと。「愛のトンネルは、香港でも人気の出つつあるよー」とおっしゃっていました。

愛のトンネル(イベント資料より)
愛のトンネル(イベント資料より)


美味しかったウクライナ料理

ウクライナでは、美味しい料理を存分に楽しんできました。たとえばスープ。代表的なウクライナのスープをご紹介しました。


一つ目は、ボルシチ。ビーツの赤色が鮮やです。日本でも人気のあるスープですが、発祥はウクライナなんです。サワークリームを後からのせて食べます。


二つ目は、オクローシュカという冷製スープ。さっぱりとしていて、夏にぴったりです。私はこのオクローシュカにはまりました。



ウクライナ料理については、旅の記録のページで詳しく紹介しています。




チョルノーブィリ(チェルノブイリ)

キーフからツアーで参加した「チョルノーブィリ(チェルノブイリ)原子力発電所」についても、少し触れました。私が訪れた2016年と現在とでは様子が違っていることを、最近ニュースを見ていて知りました。下の画像は、事故を起こした4号機の2016年の様子。現在は巨大なシェルター(いわゆる新石棺)が覆っています。

チョルノーブィリ原子力発電所(イベント資料より)
チョルノーブィリ原子力発電所(イベント資料より)



青い空と黄金色に輝く小麦畑の光景に思いをはせて

イベント完了後、私は青い空と黄金色に輝く小麦畑の光景を想像していました。


そこには、そよ風に髪をなびかせながら、凛とした眼差しで、未来を見つめる美しい人の姿。私がオデーサで知り合った、うら若き美しい女性、マリアです。


私はマリアの使う香りが好きで、こっそりと教えてもらい、翌日から、同じ香りを身に纏って旅をしていました。


侵攻後、彼女の無事を確認しようとメッセージを送ると、「私はキーフで堪え忍ぶ」と言って、ウクライナを出ようとしませんでした。


それから数週間後、「こんな状況になる前に、スペインに行って友達に会いたかった」と言う彼女。


なにを呑気に言っているのかしらと思ったけれど、でも、その素っ頓狂さが、どこか私と似ているかもしれない。


そんなふうに「どこか私と似ているかもしれない」と感じたとき、私は、突然日常を奪われたマリアの痛みが自分の痛みのように感じられてきました。




マリアが安心して自分の将来を思い切り夢見て、大きく羽ばたける日が、早く戻りますように。


美しい国ウクライナに、早く平和が戻りますように。


そして、私たちとそう変わらない愛おしい人々が暮らすこの世界が、より幸せに包まれますように。





また皆さまにお会いできるのを楽しみにしています。

ご参加をありがとうございました。

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